氏家 佳大主任 不動産投資コンサルタント

先を走っている誰かを追うのではなく、自分がそうなるということ。

中古車大手企業のエリートが不動産投資コンサルタントになるまで

私は両親が30代後半のときに兄と姉とは少し歳の離れた末っ子として産まれました。父親は理系でシステムエンジニア、母親も同じ会社で事務職に従事し、ごく普通の穏やかで温かい家庭環境で育ちました。
当時学生の頃「兄の影響」でサッカー部に入部したのですが、顧問の教育スタイルに感化され、子供の頃の夢は教師になることでした。その顧問は通常学科の教師もしていて、授業の時も部活の時も熱血漢で表裏がなく、とても信頼されるタイプの人間性でした。しかも、体系がスラッとしているイケメンで、誰もが慕う人気のある教師であり顧問でした。当時の私にとって「理想的な社会人」という印象で、そんな大人に強く憧れていました。
高校と大学も兄と同じ学校を選び、サッカーも続け、キャプテンを任されていました。

そして学生が終わる頃、就活に励むのですが、兄と姉は既に社会人で二人とも「介護系」の職に就いていました。当時の私を今思えば、身近な年上や憧れの人の後を追い、そのレールの上で自己研磨のために努力をしていくという人生で、それこそ趣味の範囲まで兄や姉の影響を大きく受けていました。しかしそれが大学の就活の際に一変します。これまでの環境を飛び越え、これまでの世界には存在しない「大きな仕事をしよう」と決心します。

がむしゃらに就職活動を行い、中古車を取り扱う日本最大の企業から内定をいただき入社しました。
大企業は仕事のできる人が集まっている、車という単価の高い商品の売買を経験できる。そうすることで自分自身を飛躍的に成長させることができる、そう考えました。新社会人21歳でした。

新社会人としての門出

入社直後に1ヵ月間の研修がありました。営業職ということもあり、今となってはめずらしい軍隊教育をベースとした研修で、それこそ強烈にキツイ内容でした。途中で何人も脱落した社員がいましたが、大学やサッカー部時代の仲間も同じような状況で、みんなで励まし合い、支え合い、無事に研修を終えることができました。
そして会社から言い渡された配属先で出鼻を挫かれることになります。私の実家は埼玉で、大学のキャンパスは埼玉と新宿の2箇所でしたので、通いやすい環境にありました。しかし、会社から言い渡された配属先は名古屋市の田舎町。しかも「社員寮」での生活を強いられることになります。社会人になってからというもの、これまでの環境がまさに「一変」します。同期の数名が一軒家で暮らすことになり、全員が仕事で関わる人です。共同キッチンで料理をし、共同風呂に入る。仕事に行っても家に帰っても仕事の人との生活です。そういった生活を半年続ける頃には、全体で数百人いた新入社員の半数が退職していたと後になって知りました。

そんな生活を続け、年に何度か帰省する度に地元の仲間が集まり「社会人って大変だな」という言葉を漏らす人もいれば、内心そう思いながらも「そんなことはない、俺は勝ち上がる」と息巻く人もいて、学生から社会人へと巣立っていく、誰もが通るシーンを過ごしました。

その頃、研修中に知り合った同期から、全国の各地の配属先の噂が伝わってきました。各店舗の店長は、それこそ大声で叱られる際に何かモノが飛んできたりと、それはそれは怖いという情報でした。しかし、私の配属された店舗の店長はそれとは全く違うスタイルの人物でした。
例えるなら、オンのときは仕事がバリバリ出来る敏腕営業マン、しかし会社を一歩出るとものすごくだらしない面白いオジサンです。その隙きの見え隠れするところと、お笑い芸人並のユーモアのセンスによって、ひとたび仕事がデキる場面に直面すると、そのギャップに誰もが心を奪われてしまいます。その上、部下には何でも任せてしまうタイプで、大役を任せて失敗してしまったとしても、「自分で考えてやってみよう」と言いつついつも見守ってくださいました。そしてこちらが求めれば的確なアドバイスをくれ、考えが間違っていた時は確信を付く言葉で叱責をくださいます。たまに叱られると素直に自分が反省し次につなげようと前向きに思えました。それがあったので、店長のために頑張ってやる!という気持ちに自然となれました。

そんな人の環境に恵まれ、私はコンスタントに車が売れるようになっていきました。私が配属されたのは、古い老舗の店舗だったのですが、10数名の社員が一丸となり、売上の新記録を更新するために日々頑張っていました。会社のために、というよりは、店舗というひとつの組織のために、店長のために頑張るという空気感で、努力の結果、売上の新記録を更新できた際は、全員で涙を流して喜び合いました。こうして名古屋の田舎町の配属先の生活にも慣れ、故郷を離れて働く社会人生活が楽しめるようになっていきました。

会社上層部から突然の左遷命令?

このまま先輩の後を追い、私も店長のために頑張っていける、そう感じていた矢先のことです。会社の上層部から、駆け出しの新人の私に、本社に移動するよう命じられました。 当時の私は、よく店長から「キミは中の下の営業マンだな」とか「お客様から凄く良いとも、凄く悪いとも思われないな」など、いわゆるキャラが立っていないというか、色の無い、印象に残らない営業マンだなと揶揄されていました。その言葉を私はどちらかと言うとネガティブに捉え、こんな大企業の本社に移動するということは、店舗で芽が出なかったから、使い物にならない営業の左遷先が本社なんだと思い込んでいました。

しかし、本社に移動してみると、また状況が一変します。
本社はマーケティング部が顧客層を細かく分析し、インサイドセールスがネットから中古車に関するお問い合わせを集約し、全国の店舗へ送客するという重要な役割を担っていました。 私はそこのスタッフを取りまとめ、目標設定やトレンドの把握に努め、確度の高い有効なお客様を捉え、店舗へ送る仕事を任されました。
私が配属されていた、あの名古屋の店舗へ送客する度に、店長の顔が浮かび「あとはお願いします!」と心の中でバトンを渡していました。
私はそんな大手企業の、順風満帆とも思える社会人生活を満喫しながら、本社機能の一員として数年勤務の末、より大きな自己成長を求め、転職を決意します。

真の不動産投資コンサルタントへの道のり

数ヶ月が経ち、ストレイトライドに入社し不動産投資コンサルタントの道を志すことになりました。
これまで大企業で揉まれ、ライバルとも言える同期も数人おりましたが、ベンチャー企業のカルチャーショックを受けることになります。先輩社員は私の理解を超えた、圧倒的にデキる人ばかり。全員が虎に見えました。この環境なら大きく成長できると確信し、苦悩し、日々成長を感じています。

入社してしばらく経つ頃、代表の豊さんから少し気になる指示がありました。「佳大は周りのコンサルタントや会社からも距離を置きなさい」そして「理由は今は分からないだろうけど、きっと佳大のためになる」と。意味が全く分かりませんでした。俺嫌われてるのかな?と落ち込んでしまいそうでしたが、しかし代表から嫌われているような素振りは一切ありませんでした。素直に聞き、特定の先輩と一緒にいるのではなく、分け隔てなく先輩を慕うようにしてました。

そして1年が過ぎる頃、契約がコンスタントに取れるようになり、最速で副主任に昇格することができました。そして代表との面談の機会がありこう命じられます。「もう距離を置く期間は終わり。ここからは会社や仲間との距離を縮め、良い先輩になってください」そして、来期は新入社員をひとり任せる、部下を持つということを伝えられました。未経験で転職し2年目で部下を持つ、ということはとても苦労も多いことが予想されます。しかし、もしかすると出生コース?でも間違いなく求めていた「大きな自己成長」は達成できると嬉しくも気が引き締まる気持ちになりました。

カメレオンのような憧れの先輩への挑戦

今思えば、兄と姉に影響された趣味、兄の影響で始めたサッカー、顧問に憧れて教師になろうと思ったこと。そして店長に言われた「色が無いキャラ」。その時存在する自分の前を走っている誰かを追うばかりで、自分には個性が無いということをネガティブに捉えていました。
しかし、気付いたんです。私は車がそこそこ売れていました。マンションも未経験ながらそこそこ売れています。つまり個性が無いのではなく、空気が読めるということ。相手に合わせて自分を変え、自然に立ち振る舞うことができる。私が獲ったポジションは、いわゆる「カメレオン」。空気が読めるから、丁度よい時に丁度よい距離で、お客様の役に立つのが私の役目です。

代表は最初から私の個性を見抜いていて、他のコンサルタント全員の良い部分を吸収するために、「距離を置け」と命じたのかもしれません。そしてこれからは、部下を持ち、自分自身が後輩から「憧がれの先輩」と慕われること。常に先を走っている誰かを追うのではなく、自分がそうなること。これが今の私の挑戦です。

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